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ピンクの鼻を上向きにして、猫は遠慮がちに近づいてくる。
「呼んだ!!」っていう感じではなく、「来ましたけど。。。」という感じで。

3匹目の猫、モネだ。
近づく先は、僕ではなく、奥さんの方だ。

かれこれ、7年近くこの家に住んでいるが、一向に仲良くなれない。それがモネ。
そこで大きな問題が出てくる。

「なつかない猫は可愛いがらないのか?」

可愛がってないか?と言われると難しい。お世話はする。
愛情が無いわけではない。いや、愛情があると思いたいだけか?解らないけど。
他の3匹の猫さんと違う所は、膝にのせたり、なでたり出来ないだけだ。
僕が触りに行こうとすると「いえ、、間に合ってます。。。」と遠慮がちに逃げていく。
「そう言わずにさー」と近寄ると、カーテンの裏へ逃げていく。

”好きでもない男に付け回されてる女性”という形が、家庭内で実現してしまう。。。

モネはビジュアルが良い。

だから余計に、”付け回される女性”になってしまう。40男が「ねえねえ」と近づけば
何もなくても事件の臭いがする。

ストーカー問題は置いといて。
「なつかない猫は可愛いがらないのか?」改め
「自分を興味の対象にして貰えないと愛さないのか?」問題について。
僕にとって、彼女(モネ)は高嶺の花。進行形でなつかれてはいない。
始めは「いずれなつくだろう。。。」と思っていた。しかし、月日は経過した。
直接スキンシップがなくても生活は続いていくし、モネにはここで生活する以外の選択肢がない。というか、選択肢を人間が奪っている。
だとするなら、必然的に可愛がる。という結論になる。

色々書いてみたが、ふと、モネを見るとやっぱり可愛い!
だから近づいてみる。やっぱり逃げられた。

僕にとっては高嶺の花。それが我が家の猫”モネ”さんだ。

4匹の猫と毎日モフモフ

猫のパリスは跳ぶ。

1メートルの出窓に”スッ”とひとっ跳び。”クルッ”小首を捻り、辺りを見れば、如何にも猫だ。
しかし体重は8キロある。なので、実際は”ドンッ”と飛び上がり、”ドムッ”と着地して
グインと小首を捻る、というほうがあっている。

名前の由来はギリシャ神話のパリスから来ている。
巨体ではあるが、銀色の毛並みは優雅そのもの。モフモフは彼のための言葉だ。

こんな感じの椅子に座れば王家の風格すらある。飼い主贔屓ではあろうけど。

だが禿げている。割とズルンズルンに。お腹周りの毛がない。。。

同居猫のモネと仲が良く、2匹の猫団子は可愛い。

しかし、餌を要求する時は、勇ましく吠える。
鳴き声は「””ワゥゥゥ””」だけど。

俊敏だけど巨体。モフモフだけどズルズル。鳴き声は「””ワゥゥゥ””」。

それが我が家のパリスです。

4匹の猫と毎日モフモフ

我が家は猫の楽園。
猫にあふれたリビングを満喫している、我が家の話。
座ると、右足に茶寅のヘレンがスリスリ。左足には三毛猫のミロクがスリスリ。
両手に花ならぬ、両足にモフモフ。
4匹の猫に囲まれて、毎日モフモフ、幸せです。

始めに我が家に来たのがヘレン。

生まれつきの目の見えないこ子で、ヘレンケラーからヘレンと名づけました。

ヘレンは名前の通り優しい猫。
時に優しさが行き過ぎ、煙たがられることもあります。
それでも、同居猫さんの毛づくろいをしたり、人間の毛づくろいをしたり(髪を引きちぎられますが。。。)「もういいよっ」って脇においても、舞い戻り、お世話をしてしまう。もう一度置いても、舞い戻り、お世話をしてしまう。

見えないのに生活できる?。それが大丈夫。
障害物は避けながら歩き、こたつの上、キャットタワーの上、出窓の上と、リビングを動き回ってます。
もちろん、トイレも大丈夫。

しかし愛が行き過ぎるゆえに、猫同士、喧嘩をはじめたりもします。
なかでも一番最後に入ってきた

「みろく」を他の他猫が虐めると、ことさら「うぅぅぅっ”””」とうなり声をあげ、威嚇するほどです。

どんなに状況でも、何度でもお世話へ向かうその姿は、優しさと愛にあふれていて、見習わないとなー、って思うのが、ヘレンです。

新興宗教との向き合い方

自分家の宗教2

母が新興宗教をしていた子供頃の話です。
この文章で、特定の宗教を勧めるつもりも、否定するつもりありません。

小学校に上がった僕は、他人よりやや不出来な子供でした。
小学一年生になっても、授業中におしっこを漏らし、それにすら気づかず、ひたすら木造の
床の溝を掘り続けるような、手のかかる子供でした。
木造の校舎なので隙間風がとても寒く、教室に灯油のストーブがありました。そのストーブは
触ると火傷する鉄のストーブで、教室の外に煙突を出すタイプです。
何度も火傷するのに、手を近づけては火傷を増やすような子供でした。
そのぐらいの子供ですから、学業も振るわず、かといって足が速い等の身体能力が高いタイプでもありませんでした。

そんな小学生は3年生の時に宗教の集まりに参加することになりました。

新興宗教活動をしている人をどう思われてるか解りませんが、世間のイメージは「怖い」とか
「鬱々としてるんでは?」と思われるかも知りませんが、ほとんどの人は温和で普通の人です。
むしろ、人より傷つきやすかったり、傷つけられた経験がある人だったりするので、僕のイメージとしては普通の世界の人より、優しい人が多いように感じています。

話を戻して、僕は新興宗教の集まりへ参加することに偏見などはありませんでした。今でこそ、新興宗教はカルトだ!危ない!というイメージを、世間的な価値観として知ってはいますが、小学3年生のやや発達の遅い僕からすると、母が行く場所が自分の行く場所です。

その教団施設は、地方の町中にある、古びた一軒家でした。家は杉の木で周辺を囲まれていて、夏でも日陰の部分が多い所でした。土埃のついた赤い瓦の屋根と、高床式倉庫のような
床面が高くなった木造4DKの、縁側と中庭のある建物でした。
その建物で何をしたかというと、床の間に飾られた掛け軸の前で正座したり、おじいちゃんや
おばあちゃんと正座で向かい合い、仏教でいうとこのお経のようなものを読んだりしました。
強制されたというより、周りのみんながやってるなら、同じようにやらなければいけないだろうな?というぐらいの気持ちで取り組んでました。
正座を10分は足も痛かったし、落ち着きのない僕が10分も静止していなければならないのはかったですが、教団活動が嫌でしょうがなかった!とか親に無理強いされて辛かった!とか、そんな気持ちは今でもありません。

むしろ、劣等生の僕が、教団のおじいちゃんやおばあちゃん、おじちゃんやおばちゃん達に
褒められたり、可愛がられたりしたことの方が印象深かく、思い出に残っています。
教団の教義を真面目にノートにとったり、教団の階級試験に合格したり、他の信者さんが
認めてくれるようなことをするのが楽しかったのは覚えています。

人に認められなかった僕が、誰かに認めて貰える。
それが当時の僕としてはとても大きかったと思います。
宗教活動をしていた!というのが負のレッテルだとするなら、それを張られたとしても
子供時代の僕のアイデンティティは宗教に根差しているのは否定できないし、否定しようとも
思いません。

他人に認めて貰う、貰いたい、という感覚は、このころから来てるのかもしれません。

新興宗教との向き合い方

物心ついた時から、宗教をしてました。
浄土真宗や曹洞宗という、世間一般的な宗教ではなく
新興宗教に関わってました。
というのも、母親が新興宗教の信者であり、その子供でした。

前提として、特定の宗教に勧誘するつもりも、宗教団体を批判
するつもりもありません。ただ、新興宗教というものが家庭に入ったら
どうだった?かを書こうと思います。

・カトリック系の幼稚園に通ったこと

その幼稚園の庭には、マリア様の像があり、教会にはイエス様の像がありました。
毎朝、イエス様の像の前で手を合わせ、日々のお祈りをしました。
幼少期から、人への感謝や敬意、他者への愛情などを教わったのは
今でも価値観の源流にあると思います。
その当時、言語化できるほど、何をやってるかは解っていなかったと思うのですが
悪い言い方をすれば、強制的にやらされたというか、矯正的、又は儀礼的にやってた
ことが、人格形成のひとつになったことは間違いないと思います。

他の幼稚園がどのような感じかは解りませんが、先生がとても優しかったのは覚えています。

運動会で、かけっこに負けた僕は、靴が悪いとか、卑怯な手をされたとか、そんなことを言って、ダダをこねました。
それに対して先生は「頑張って走ったね。すごいね」という感じのことを
何度も、何度も、僕に諭してくれました。
当時の僕は、ぐずったまま、終わったように思います。
今にして思うのは、先生は相手を責めるでもなく、負けた僕自身をつまらない、というのでもありませんでした。先生の意図は何だったのかと考えると
勝負に勝とうが負けようがそのままを受け入れなさい、ということなのかな?と思います。

この世界に生きてる限り、人には必ず、優劣がつきます。それは職業であったり
容姿であったり、収入であったり、家柄であったり、キリがないほど、人の優劣をつける項目があります。

しかし、「人は全て等しく主の子である」とするキリスト教的な考えの前では優劣など存在しません。

解っていても、人と比べてどうなのか?と考えてしまう、自分自身が居ます。

何歳になっても、当時の教えが解るようになっても、自分を変えきれないぐらいが
人間らしいな。。。って思います。

料理

美味しいものには手がかかる

と、実感したのは、オランジェットを作ってみたからです。

先日、職場から50個近くのネーブルを貰う。
二人暮らしの夫婦には余る数、、、。
親戚やご近所に配ったにしても余る、、、。なので、加工することにしました。
長期保存! という感覚が頭にあったので

乾燥 or 砂糖漬け  ということに。
なのでメニューは

オレンジピール    オレンジコンフィ      に決定。

ピールに関しては

皮を剥く 白い部分を削る 茹でこぼす×3 水につけ置く
砂糖で煮詰める 干す

という具合で

完成しました!

夫婦で作ったといっても、旦那は外皮を剥いただけです、、、。
作って分かったのはオレンジは香りが強いこと。
どんなに水に漬けても、煮詰めても香りはしっかり残ります。

 

ここまでは順調だったのですが、問題はコンフィの方です。

同じようにオレンジを

輪切り 煮こぼす 水につけ置く 砂糖で煮詰める 干す と作業した所。。。

実が崩れる。。。

という事態に。

出来上がったのは、手にとって食べれるマーマレード的なもの。。。
決して不味くはないし「こんなもので良いんでね?」と思う俺に対して
奥様は「店売り出来るレベルを!!」と火がつき

<コンフィ>⇒<オランジェット> にバージョンアップ
コンフィにチョコをまとわすとオランジェットなのでとりあえず、コンフィを制作
することに。

ちなみにオランジェットの店売りを見てると。。。

¥1800 ¥1980 ¥864 ¥3660 ¥1944 ¥1866

「なんだ!この値段!高い!」
「オレンジを砂糖で煮ただけだよね!? んでチョコかけたら、高価なん!?」

というのが、始めの印象でした。
まー、後に「この値段も納得だな。。」という所に至るのですが。

作った後の感想としては、コンフィは我が家では

オレンジ姫 と命名。

レシピとしては単純で

1.砂糖漬けにする(煮詰めて冷ます工程を3回繰り返す)
2.乾燥させる
3.チョコ掛け

と、単純なのですが、いざ作ってみると、その繊細さはまさしく

!」

まず、手荒に扱うと果肉が分離してしまう。。。
茹で過ぎると果肉が崩れる。。。
砂糖を一度にたくさん入れて煮ると、綺麗な見た目にならない。。。

沸騰しない程度に茹でて、冷ます。×3回
実の一つ一つに気をつかいながら。

と過程をえて、姫様ことコンフィが完成!

出来上がったモノを一口味見すると

「マーマレードではない。。。繊細な酸味。。。口の中で突き抜ける強い香り。。。上品な糖分。。。」

「姫様!」

ということで姫様こと、オレンジコンフィが完成しました。
実際作ったのは奥様です。

そして、コンフィからオランジェットへ進化編へ。

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あなたのままで

このフレーズをサイトのテーマにしたのは

「もっと上へ!!」
「昨日より、新しい私に!!」

みたいなこと、疲れてきたからです。

毎日、みんな頑張ってる!
ほとんどの人はそうだと思うんです。

仕事  子育て  おしゃれ  料理  自分磨き
学校  勉強  友達付き合い  親戚付き合い etc 。。。

思いつくだけでも、色んなことにクオリティを求められる。。。
そんな現状だと思うんです。

僕自身、世間からマイナス評価されることをあげると

・喫煙者
・40歳
・収入は平均よりやや下
・目が死んでる etc

結婚相談所に行けば、おそらく第一候補にはしてもらえないだろう
要素がたくさんあります。

2019年縁があり、今の奥様と結婚しました。

夫として、出来てないことは沢山あります。

「出来るとこまで  無理のない範囲で」

あるがままを認め合う  そんな夫婦で居られたらと思っています。

あなたのままで 頑張りすぎな今の時代に、少しの余暇になればと思います。